上毛新聞「視点・オピニオン21」 2016/05/13掲載

山菜採りと持続可能性 「丸坊主」採取はやめて

 今回からは、動物写真家として、桐生自然観察の森のレンジャーとして、日々感じていることをお話ししていきたいと思います。今回は、「持続可能性」(サステナビリティー)について、お話しさせていただきます。

 「持続可能性」という言葉、もともとは自然環境を人間が利用する際に、長期的かつ安定的に、上手に利用しようという概念を指していました。今では経済の分野で、企業の長期的・定常的な運用をいかに図るか、といったことも意味するようになりました。

 今回お話しするのは、世界規模の気候変動でも、マクロ経済でもありません。「里山のサンショウ」の話です。春、芽生えの時期を迎え、里山が萌黄(もえぎ)色に染まっています。山菜のおいしい季節の到来ですね。山を歩いているとこの時期、山菜採りの方々にも出会うことが多くなります。

 昨年、山を歩いていると、サンショウの新芽を摘んでいる、3人の方に出会いました。あいさつをしてすれ違った後に3人が摘んだとおぼしきサンショウの木が目に入りました。それが、みごとに「丸坊主」だったんです。

 実はこの「丸坊主」、多くの問題をはらんでいるんです。まずは、サンショウの木自体の健全性が損なわれるということです。新芽、つまり若葉と花は実を結び、種を作るための大切な器官です。それを根こそぎ剥ぎ取ると、その木はもう健全に生育することも、その年子孫を残すこともできません。若葉だけを選んでも栄養を作る器官を奪ってしまうことになるのです。

 また、昆虫の生態にも影響を与えます。サンショウなどミカン科の樹木は、アゲハチョウの仲間にエサを供給する重要な植物です。これを丸坊主にしてしまえば、当然、アゲハチョウの生息環境が悪化していきます。

 一株だけならまだしも、サンショウの若葉を求める人が多ければ、丸坊主のサンショウも増え、本格的に昆虫たちの生息環境に影響を与えることになりかねません。むやみにサンショウの新芽(に限りませんが)を採り尽くすと、自然環境に悪影響を与えかねないということです。

 ここまでが、サンショウを取り巻く環境的な「持続可能性」の問題です。それに、もしサンショウの木が減ってしまったら、新芽を調理して、春の風味を楽しむことが難しくなってしまいますね(これは「経済的」意味合いになりましょうか)。このように、「天然の」山の幸の過剰な採取は、里山の「持続可能性」を損なってしまいます。

 どうか「根こそぎ」「丸坊主」はやめて、思いやりを持って、抑制的に山の幸を楽しんでいただきたいと思います。千里の道も一歩から。地球規模の「持続可能性」を考えるはじめの一歩として、山の幸の利用のあり方について見つめ直してみませんか。

 

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